日本の灯台の歴史|なぜ明治時代に作られた?「日本の灯台の父」ブラントンとは

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目次

はじめに|海を照らす光の軌跡

海を照らす灯台とココロ船長

日本の海岸線に立ち、夜の海を力強く照らす灯台。

その多くが、実は日本の近代化が始まった明治時代にその礎が築かれたことをご存知でしょうか。

  • なぜ、日本の灯台は明治時代に集中して建てられたの?
  • 日本の灯台の父』と呼ばれる人物がいるって本当?

この記事では、日本の灯台の歴史に関するそんな疑問に深く迫ります。

江戸時代までの航海から、西洋式の灯台が全国に整備された明治時代の背景、そしてその中心人物となったイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの功績について、分かりやすく解説していきます。

やあ、みんな!ココロ船長だにゃ! 今回の灯台探検は、日本の灯台が生まれた「歴史の航海」だにゃ!『なぜ明治時代に、急に灯台が必要になったのか?』 そして、その大プロジェクトを成し遂げた『”日本の灯台の父”と呼ばれるヒーロー』がいたこと…。知られざる灯台誕生のドラマを、一緒に探っていこうにゃ!

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近代灯台以前|江戸時代の「灯り」

江戸の篝火とココロ船長

日本の灯台の歴史を語る上で、まず近代的な西洋式灯台が登場する前の状況を知っておく必要があります。

もちろん、江戸時代にも夜間の航海の目印となる「灯り」は存在しました。

そうだにゃ!電気もLEDもない時代だもんね。 昔の船乗りたちは、どんな光を頼りに航海してたのかにゃ?

灯明台(とうみょうだい)や篝火(かがりび)

港の入り口や岬など、重要な場所には「灯明台」と呼ばれる施設が設けられていました。

これは、油を入れた皿に火を灯したり、木を燃やしたりして、夜間の目印としました。なお、見晴らしの良い場所で篝火を焚いて、船に位置を知らせることもありました。

しかし、これらの灯りは天候に左右されやすく、光も弱いため、遠くから認識するのは困難でした。

航海技術の限界

当時の日本の航海は、主に沿岸部を目印(山や岬)を見ながら進む「地乗り(じのり)」が中心でした。

夜間の航行は危険が伴うため、なるべく避けられていたのが実情です。

そのため、西洋のような強力な光で遠くまで照らし、夜間や悪天候時でも安全な航海を可能にする本格的な「灯台」の必要性は、まだそれほど高くなかったのです。

なるほどにゃ。昔は夜の海に出るのは、かなりの冒険だったんだにゃ。 灯明台や篝火も、船乗りたちにとっては大事な目印だったんだろうけど、やっぱり限界があったんだにゃ。 そんな時代が、どうして大きく変わることになったのかにゃ?

なぜ明治時代?近代化と開国の波

開国の港とココロ船長

日本の灯台の歴史が大きく動き出すのは、幕末から明治時代にかけてです。

この時代に、西洋式の近代的な灯台が急速に整備されることになったのには、日本の大きな変化が背景にありました。

来たにゃ!いよいよ明治時代の灯台の幕明けだにゃ! 黒船が来たり、日本が外国との付き合いを始めたりした、あの激動の時代だにゃ。 それが灯台とどう関係あるのかにゃ?

開国と海上交通の急増

1854年の日米和親条約、そして1858年の日米修好通商条約(安政の五カ国条約)により、日本は長い鎖国政策を終え、外国との貿易を開始します。

横浜、神戸、長崎などの港が開港し、外国の大型蒸気船が頻繁に出入りするようになりました。

しかし、当時の日本の沿岸には、夜間航行のための十分な設備がありませんでした。 これは、外国船にとって非常に危険な状況であり、海難事故のリスクも高まっていました。

安全な航路確保の必要性(改税約書)

外国との円滑な貿易や外交関係のためには、外国船が安全に日本の港へ出入りできる「航路の安全確保」が急務となりました。

江戸幕府は、欧米列強(イギリス、フランス、アメリカ、オランダ)との間で1866年に結ばれた「改税約書(江戸協定)」において、灯台8基(条約灯台)を含む航路標識の整備を約束しました。 この約束が、日本の近代灯台建設の大きな起点となります。

明治新政府はこの条約を引き継ぎ、近代国家として国際社会に仲間入りするためにも、灯台の建設は避けて通れない国家的な課題となったのです。

灯台8基とは、観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬の灯台です。)

そうか!外国の大きな船が来るようになって、「夜も安全に港に入れるようにしてくれ!」って約束(条約)が結ばれたんだにゃ。 日本が世界と貿易していくためには、まず海の道を明るく照らす必要があったんだにゃ。 まさに、明治時代の灯台建設ラッシュは、日本の近代化そのものだったんだにゃ!

リチャード・ヘンリー・ブラントン|「日本の灯台の父」

灯台の父とココロ船長

明治政府が西洋式の灯台建設という国家プロジェクトを進めるにあたり、白羽の矢が立ったのが、イギリスから招かれた一人の若き技術者でした。

彼の名は、リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)。 後に「日本の灯台の父」と称されることになる人物です。

ついに登場だにゃ! この人がいなかったら、日本の灯台の景色は全然ちがうものになってたかもしれない、スーパーヒーローだにゃ! 灯台ヒーロー、ブラントンの伝説の始まりだにゃ!

なぜブラントンだったのか?

当時、灯台建設の先進国であったイギリスに、日本は技術者の派遣を要請しました。

ブラントンは、スコットランド出身の土木技師でしたが、灯台建設の知識も持っており、1868年(明治元年)、当時26歳「お雇い外国人」として来日します。

彼の任務は、日本の沿岸を調査し、灯台の設置場所を選定し、設計・建設を指導することでした。

日本の灯台建設のリーダーとして

ブラントンは、来日から約7年半の滞在中、日本全国の海岸線を精力的に測量し、灯台建設の計画を立案・実行していきます。

言葉も文化も違う異国の地で、資材の調達、日本人技術者の育成、そして地震や台風といった日本の自然条件との闘いなど、多くの困難に直面しながらも、日本の灯台ネットワークの基礎を築き上げました。

彼は単なる技術指導者ではなく、日本の近代化に情熱を燃やした人物だったと言われています。

※初期のブラントン灯台の一部では、スティーブンソン系の技術的助言の影響も指摘され、当初はアルガン灯+反射器を採用した例があり、その後フレネルレンズへ移行していきました。

26歳で、言葉も通じない外国で、灯台を作るっていう巨大プロジェクトのリーダーに!? すごいプレッシャーだっただろうにゃ…。 地震のことまで考えて、最初は違う灯り(アルガン灯)を使ったなんて、さすがプロだにゃ! まさに「日本の灯台の父」と呼ばれるにふさわしい活躍だにゃ! 具体的にどんな灯台を作ったのか、もっと知りたいにゃ!

ブラントンの功績|日本の海を照らした灯台網

灯台網とココロ船長

リチャード・ヘンリー・ブラントンは、その滞日期間中に、日本の海上交通の安全に不可欠な26基もの灯台建設を指導しました。

彼が直接設計・建設に関わった、または計画に携わった灯台は、日本の主要な航路をカバーするネットワークを形成し、その後の日本の海運の発展に大きく貢献しました。

ブラントンが作った灯台は、今も現役で活躍しているものが多いんだにゃ! まさに日本の海の守り神だにゃ! どんな有名な灯台があるのかにゃ?

主要な建設灯台(年代順)

ブラントンが手掛けた灯台の中でも、特に重要なものをいくつか年代順に紹介します。

  • 観音埼灯台(神奈川県)
    日本最初の洋式灯台。初点灯は明治2年1月1日(西暦1869年2月11日)。フランス人技師ヴェルニーの計画に基づきフロランが監督して完成し、ブラントンはこの完成を引き継ぎました。(※この灯台の起工日である11月1日は、後に「灯台記念日」と定められました。)
  • 野島埼灯台(千葉県)
    1870年点灯。(初代は)八角形の白亜レンガ塔。※関東大震災後の1925年に現在のコンクリート塔へ再建。
  • 品川灯台(東京都)
    1870年点灯。フランス製の六等・不動赤色フレネルレンズを用いた。現在は愛知県「博物館 明治村」に移築・保存される現存最古の洋式灯台(観音埼・野島埼は関東大震災で倒壊)。
  • 樫野埼灯台(和歌山県)
    1870年点灯。日本最古の石造灯台であり、日本初の回転式閃光灯台。
  • 神子元島灯台(静岡県)
    旧暦 明治3年11月11日(新暦 1871年1月1日)に初点灯。伊豆半島沖の難所に建てられた石造りの灯台。IALAの「世界歴史的灯台100選」(1998年提唱)の一つ。
  • 伊王島灯台(長崎県)
    1871年点灯。日本初の鋳鉄製(鉄造)灯台。
  • 佐多岬灯台(鹿児島県)
    1871年点灯。本土最南端の灯台。
  • 犬吠埼灯台(千葉県)
    1874年点灯。国産レンガを用いた美しい灯台。「世界歴史的灯台100選」の一つ。
  • 尻屋埼灯台(青森県)
    1876年点灯。現役のレンガ造り灯台としては日本一の高さ(約32.8m)。

これらはほんの一例ですが、ブラントンがいかに広範囲にわたり、日本の灯台網の基礎を築いたかが分かります。

※「世界歴史的灯台100選」には、日本から上記(神子元島、犬吠埼)の他に、姫埼灯台(新潟)、美保関灯台(島根)、出雲日御碕灯台(島根)の計5基が選ばれています。

西洋技術の導入と日本人技術者の育成

ブラントンは、灯台の設計・建設だけでなく、

  • フレネルレンズなどの最新の西洋技術の導入
  • 灯台の運用・管理体制の整備
  • 日本人技術者の育成

にも力を注ぎました。

彼が育てた日本人技術者たちが、その後、日本の灯台建設を担っていくことになります。

すごい数だにゃ! 北は青森から南は鹿児島まで、ブラントンは日本の海を駆け巡って光を灯していったんだにゃ! ただ作るだけじゃなくて、最新技術を取り入れたり、日本人が自分たちで灯台を作れるように育てたりしたところも、「日本の灯台の父」と呼ばれる理由なんだにゃ。

まとめ|明治の灯が照らす現代の海

灯台の余韻とココロ船長

今回は、日本の灯台の歴史、特に明治時代に西洋式の灯台が導入された背景と、「日本の灯台の父」リチャード・ヘンリー・ブラントンの功績について解説しました。

  • 江戸時代までは、灯明台篝火が主な航海の目印だった。
  • 明治時代の開国と1866年の改税約書(江戸条約)により、外国船の安全な航行のため、西洋式の灯台建設が急務となった(条約灯台8基を含む)。
  • イギリス人土木技師ブラントン(Brunton)が26歳で招かれ、日本の灯台ネットワークの基礎を築いた(約7年半で26基を指導)。
  • ブラントンは、観音埼灯台(日本初の洋式灯台に貢献)、犬吠埼灯台など、多くの重要な灯台を建設し、西洋技術の導入や日本人技術者の育成にも貢献した。(※観音埼灯台の起工日11月1日は「灯台記念日」)
  • IALAの「世界歴史的灯台100選」(1998年)には日本から5基が選ばれている。

現在、私たちが目にする歴史ある美しい灯台の多くは、この明治時代の日本の近代化への情熱と、ブラントンをはじめとする技術者たちの努力の結晶なのです。

灯台を訪れる際には、その光だけでなく、背景にある歴史にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

灯台の歴史を知ると、ただの建物じゃなくて、先人たちの汗と知恵が詰まった「光のバトン」に見えてくるにゃ。 明治時代に灯された光が、今も日本の海を安全に照らしてくれているんだにゃ。感動だにゃ! 次の航海(記事)も、灯台の奥深い世界を探っていくから、お楽しみににゃ!

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